ラーケン王宮写真
ラーケン王宮

1831年に7月21日に、ベルギー憲法が制定され、ベルギー国王レオポルド一世が即位してから、この場所は、ベルギー王室の居城となった。

1890年の1月1日に、この宮殿は火災にあい、かなりの被害を受けた。

そして、この結果、宮殿の北翼とキューポラは荒廃した。

レオポルド二世は、建築家のアルフォンス・バレットに、ラーケン王宮の

修復を依頼 する。金属構造を持つ木造建築を交換し、ドームを再建し、その後、ガラス張りのギャラリーが中央部に接続されている城の2つの部分と八角形のパビリオンの、

それぞれの側に追加した。

1902年に、会議や公共のレセプションのために、本物の城、「国家の宮殿」を作りたかったレオポルド二世は、建築家シャルル・ジローに、メインの正面玄関とUを形成する二つの新しい記念碑的な翼を構築する。そして右側には、礼拝堂とオープンした長いギャラリー、図書館のために 拡張され、広いリビングルームと寝室を含む「王の館」になった。

左がレセプションホール、宴会場に設計された。この宮殿は、ネーデルラント国王オランィエ公ウィレム一世の時代に再建された部分(1820年―1829年)を基礎としながらも、1904年から国王レオポルド二世により、内装・外装共に、ほぼルイ十六世様式の建物に、ほぼ全面的な改装が施された。

建物の内部は、中央の階段との二つのサイドランプを登るポーチに挟まれた長さ90メートルの四角形に、そして各ランプは、彫刻家ゴドフロワ・デフリーゼによる、

女性の頭部を持つ、スフィンクスで飾られた。そして宮殿内にはゴヤの作品をモチーフとしたタペストリーの掛かっている、「ゴヤの間」、ベルギー初代国王レオポルド一世の肖像画が数多く集められた「ルイ十六世様式の間」、食器や銀器を展示した「青の間」の他、建築の大家アルフォンス・バレットによる壮麗な「玉座の大広間」などが作られた。この場所には、収蔵されているルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスなどの肖像画作品もある。

更に宮殿の敷地内には、レオポルド二世に よって、「ラーケン王立温室」が建設された。宮殿の広大な公園には、湖、ゴルフコース、中国館と日本の塔のような、様々な博物館が含まれている。

中国博物館は、王レオポルド二世が建造した。客室はシノワズリールイ十六世様式に設計された。

この中国博物館の中には、多くの陶器や銀食器が飾られている。

日本の塔は、元々1900年にパリの

万国博覧会のために建てられた塔だった。

そしてこれは王レオポルド二世によって購入され、ブリュッセルに運ばれ、

ラーケン王宮の敷地内に設置された。

2001年の「ラーケン欧州サミット」では、各国政府の多くの首脳が、この場所に集合した。