注意!

 

 

 通常世間で言われている・捉えられているエリーザベト像と、

実際の彼女の姿とは、大きく異なるのではないか?という思いから、この記事の中で展開している、私なりのエリーザベト論ですが、私のエリーザベト論を、かなり辛口に感じる人もいるかもしれないので、オーストリア皇妃エリーザベトが批判される事自体に、耐えられない人、不快感を覚えるような人は、読まない方がいいかと思います。

 

 

 

 

 

ハプスブルク家に関する著書で知られている、テア・ライトナーも、著書の「ハプスブルクの子供たち 新書館」か「侯爵夫人、才女、世話女房 新書館」の中で、 シャルロットについて、魅力と才能に恵まれた子供だったと、ちらりと書いているし、彼女への評価は高いようだ。

 

 

 

反対に、「ハプスブルクの子供達」の中で、テア・ライトナーは、以前にあるハプスブルク家の女性について数年をかけて調べていたが、彼女があまりに見識のない、独り善がりのナルシストで書く気をなくした、私には自分が好きになれない人物を書くことはできない、古い、まだ礼節が重んじられていた時代に懐かしさを感じる、また自分の作家としての限界を感じた、ハプスブルク家の変人を書きたい人は、書けばよい。

私は書く気はない。

という訳で、私はこの本の中でも、今回も自分が本当に好感が持てる、好ましいと思える子達を書く事にした、などと書いていたのは、もしかして、オーストリア皇妃エリーザベトの事では?というフシもあるし。更に、この中の「マヨルカ島の男」の中で、ちらりとエリーザベトの名前が出てきますし。

 

 

 

 

 

見識がない、独り善がりのナルシストというのは、これらの点ですかね。

とにかく、好き勝手に振る舞いたい、自分の美意識・嗜好・思想にそぐわないものは、徹底的に排除。ヴィクトリア女王との不和、意気投合していた、ルートヴィヒ二世の、シュタルンベルク湖での溺死は、彼を退位させた、

当時バイエルン王国の摂政宮で長女ギーゼラの夫の父だった、摂政宮ルーイトポルトのせいだと決め付け、形式ばった作法や公式行事などまっぴら的な、エスケープ行動の数々や、末娘のマリー・ヴァレリーへの偏愛過度のハンガリーへの肩入れ、嫁のステファニーに対する過剰な意地悪さ、それにルドルフを自由主義者に育てた事も、後年の父子対立の遠因を作ったとも言えるのでは?

 

 

 

 

 

 

確かに、エリーザベトのそう思われる傾向・行動の数々を挙げてみると、枚挙に暇がありませんね。

兄のフランツ・ヨーゼフと弟で自由主義者のマクシミリアンとの不和だって、見ているでしょうに。

それに、彼女のこの息子への自由主義教育だって、確たる思想・ルドルフのため、帝国の将来のためというより、 単に、自分と同じ思想を持った子供に育てたいという、彼女個人の欲求に過ぎないのでは?という気がしてしまうのですが。

そもそも、エリーザベトってハプスブルク帝国の存続自体も信じていなかったようで、いざとなったら亡命するための預金も下ろしてあったとか。あのような時代に、

このような皇妃を持った帝国も、

不幸と言うしかないですね。

普通、皇妃なら、王家の存続を願うものでしょうに。

 

 

 

 

 

エリーザベトの勝手な行動の数々も、何でも自由主義者だったからというのに結びつけて正当化してしまうのも、どうかと思うのですが。彼女の本質を、かえって見誤るような。

とにかく自由主義の方を評価してしまいがちな現代人の傾向のせいか、こういう行動もおおむね好意的に捕らえられやすく、ルドルフへの自由主義教育も、まるで頑迷な父フランツ・ヨーゼフの方が悪いかのような調子で、書かれやすい気がしますが。

エリーザベトは、自我と個人の自由に目覚めた近代人なんて、過大評価では?という気がしますが。

どうも以前から私はエリーザベトの自由主義って、どちらかというと系統立った、確立された思想とかというより、 単なる本人自身の個性では?という感じがするし。

 

 

 

 

 

 

 

私は彼女に関する、どんな本を読んでも、エリーザベトの生涯の中での、

彼女の苦悩というものに、ほとんど共感できませんでした。

エリーザベトの生涯を扱った伝記の中では、代表的・決定版的な存在であり、そして現在のブームの火付け役になったと思われる、特に、ハーマンの「エリーザベト」、(私としては非常に?ですが、ダイエットが彼女の宮廷での自己主張の手段だったのだとかの、新しい解釈の他に、何と言っても、ふんだんに、美しい彼女の写真や肖像画を、本の中に使ったのが、売れた大きな要因だと思いますが。)

この伝記を読み終わった後は、

癖のあり過ぎる彼女の性格からくる

毒気に、始終あてられた感じで、

ただただ、げんなり・うんざりという印象しか、残りませんでした。

かえって、これまで、他の書籍でも漠然と感じ続けていた、彼女及び彼女の生涯に対する抵抗感・数々の疑問が、この本により、より顕著になった思いでした。

この本を読み終わっても、何の感動もなければ共感もないし、同情もないし、示唆もないし、楽しさもないし。何だか、本人の書いている事や、言っている事などが、ほとんど彼女の真意を解明するための、手がかりにならないんですよね。

むしろ、知れば知る程、謎が深まるばかりという、非常に珍しい女性だなとは思いました。筋金入りの変人というか。

 

 

 

 

 

とにかく、同情や共感以前に、彼女の個性のそのあまりの強烈さに、ほとほと辟易してしまう感じというか。

そういえば、これもずっと以前から気になっていた事なんですが、どうしてエリーザベトって、 この本名ではなくて、主に実家の家族間で使われていた愛称の「シシィ」が、しばしば、 書籍などでも、サブタイトルだけではなくて、メインタイトルにまで、なっていたりするのでしょうか?このような習慣は、一体いつ頃、誰が始めたんでしょう? どこかの作家あたりでしょうか?

たぶん、こうする事で、エリーザベトの存在を、 親しみやすい存在、特に現代人が親しみやすい存在にしようという、意図もあるんでしょうね。

しかし、私は、エリーザベトについて、 このように書いているように、私からするとエリーザベトって、家族や友人でもないのに、そんな愛称で呼ぶ気になる程、親しみやすい性格の女性には、とても思えないんですがね。

 

 

 

結局、このなぜか彼女を当時の家族間での愛称「シシィ」や「シシ」などで呼ぶ傾向というのは、コルティが始めたようです。

しかし、やはり、著者の伝記執筆対象者との間の距離感の取り方が、ちょっと問題なのでは?という気がするのですが。

家族でもない第三者が、まるで彼女の身内か友人であるかの如く、この愛称で呼んでいることからもわかるように、エリーザベトに感情移入し過ぎなのではないかな?と思ってしまうのですが。

これが、彼女の親類縁者が基本的に彼女の親愛の情から、好んでこのような愛称を用いて、彼女について何らかの記述をするというのは別にいいと思うのですが。しかし、伝記作家というのは、その執筆対象者に対しては、なるべく客観的な視点を保つためにも、ある程度の距離を保つ必要があるのではないかなと思うのですが。

 

 

やはり、基本的に、このような人々のエリーザベトびいきが、特に彼女の不可解なその生き方に、新しい意味付けをして注目を浴びた、ハーマンのその本くらいの頃から、現在も続いているんだなと思いました。

また、コルティなんて、かつての帝国領土だった、クロアチア生まれのロンバルディアの伯爵という、その出自的にも地理的にも、思いきり帝国の影響内にありますよね。

むしろ、この彼のその皇帝・帝国への忠誠心から、どんなに変わり者でその言動に疑問を感じてしまうような女性でも、当時のハプスブルク帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの愛妻だからということで、悲劇的な女性という風な書き方をするしかない面もあったのかな?という気がします。

 

 

それに、彼女自身にしたら、深刻な苦悩になっていたのかもしれませんが、彼女自身の宮廷生活などでの苦悩の数々だって、本当に彼女のごく個人的な、勝手な苦悩にしか思えない訳ですが。

自分の流儀を押し通せない事への苛立ち・不満や苦悩としか見えないんですよね。

しかし、このエリーザベトの苦悩が、形式化した非人間的な他の宮廷人達とは違い、

自我と個人の自由・真の人間性に目覚めていた進歩的な女性のエリーザベトゆえの、

まるで高尚・哲学的な悩みであるかのようにすり替えられる感じで、いつも解釈されるのが、私は疑問を感じるし、賛同できないものを感じるんです。過大評価もいい所ではないのか?と。

 

 

 

 

 

 

 

 

私には、彼女の悩みって、そんなたいしたものだとは、思えないんですが。

だって旧来の王族や貴族の存在を否定するというのなら、自分はどうなんだ?

という感じだし。

エリーザべトって、王族や貴族の身分を廃止し、王政も廃止して、共和制にしろという主張を、表に出して公言する程、革新的でもなかった訳でしょ。

結局彼女だって、同時代の他の王族・貴族女性達の基本的な価値観の範囲を、

出ていないように思えます。

私はエリーザベトの苦悩というのは、

実際には、巷で取り沙汰されているような、

そんな大層な、深いものではなくて、

ほとんどは主に彼女自身の性格や姿勢に起因する、底の浅い悩みではないのか?という気がしてしまうのですが。

それに、では本当にエリーザベトが進歩的で自由主義者なら、むやみに苦手だったり嫌いなタイプの人物達を、敬遠したり、否定したり傷つけたりしてもいいのか?とも思いますし。ステファニーとか。

むしろ、エリーザベトと仲の悪かった・上手くいっていなかった人達の方が、目立つ感じですし。

ゾフィー大公妃、シャルロット、ステファニー、ヴィクトリア女王、メッテルニヒの孫のパウリーネ・メッテルニヒなど。

大体、エリーザベトが仲の良かったと言える人って、同名のルーマニア王妃エリーザベトとハンガリー貴族のアンドラーシとルートヴィヒ二世くらいでは?

フェシュテティチ伯爵夫人とイーダは、

お仕えする人達ですからね。

やはり、これってエリーザベトが進歩的過ぎて理解者に恵まれなかったというより、

やはり、偏屈過ぎる彼女自身の性格に、

問題があったのでは?

 

 

 

 

 

 

そもそも、これだけエリーザベトが、本来のハプスブルク帝国の皇妃の姿から大きく逸脱している傾向が、むしろ称賛されるなんて、不思議ですね。

いつの間にか、代表的なハプスブルク家の女性や、世紀末ウィーンの象徴のような

扱われ方になっているし。

 

ハプスブルク関連の著書で知られる、テア・ライトナーがいくつか挙げていた、ハプスブルク家の女性達の特徴は、一切エリーザベトには当てはまっていないようですし。

それに、エリーザベトは、ハプスブルク家の女性といっても、ハプスブルク家に生まれた女性ではなくて、ヴィッテルスバハ家からの「嫁」ですしね。

それに、生涯ハプスブルク家の一員という

自覚・意識も、持たないままの女性だった訳ですから。

ハプスブルク家に馴染めなかった、あるハプスブルク家女性の一ケースとして、エリーザベトが紹介されるのなら、わかるのですが。しかし、何で、彼女が現在では、代表的なハプスブルク家の女性になっているのか、よくわからないんですが。

 

 

 

私が思うに、彼女については、

皆深読みし過ぎではないか?と。 

彼女の数々の勝手・自己中心的行動の数々も、奇矯なふるまいも、すべてそれなりに正当な理由あっての事にしたがる人が多過ぎるのでは?と。

大体、ウィーンの古臭くて厳格な作法や生活に耐えられなくてとか、姑のゾフィー大公妃や夫フランツ・ヨーゼフの無理解、これらが積み重なり、あのように猛烈なエゴイスト・エキセントリックで不機嫌な女性に変貌してしまったのだという主張が目立つ感じがしますが。

それは、彼女を不機嫌にさせたのは、

姑や夫の無理解な部分もないとは言えないかもしれませんが、それにしても何かとエリーザベトの行動は、 度を越えているように思います。

ステファニーの事は嫌っているくせに、

彼女が皇太子妃としての数々の公式行事に出席などして役割を、全て果たしているのを見て、これ幸いとステファニーに自分の皇妃としての役割まで、任せきりにしたり。

 

 

 

また、エリーザベトのパーソナリティーとして注目される点として、自作の詩の中でフランツ・ヨーゼフとカタリーナ・シュラットを辛辣に揶揄する、ステファニーに対するきつい態度など、こういう所に見え隠れする、

エリーザベトの明らかに意地悪な傾向だって、ここまでウィーン宮廷が彼女の気持ちを荒ませたのだという調子の論調も目立ちますが、しかし、エリーザベトについては、 彼女にくびったけの夫のフランツ・ヨーゼフでさえ「君には意地悪な所があるが」と、

彼女のこういう性向についても認めています。特に、エリーザベトのステフアニーに対する辛辣・意地悪な態度なんて、どう考えても正当化できないと思いますが。

本人としては、私をこんな不快な気持ちに

させるこの娘が悪いくらいに思ってたんでしょうが。

やはり、あまりにも彼女達の関係では、

エリーザベト側にばかり立ち過ぎ、

ステファニーに対して不公平な扱いをする人達が、多過ぎると思います。

ステファニーがエリーザベトに辛く当たられるのは、垢抜けなくて鈍重な感じで、

美人でもなくエリーザベトを苛立たせる

ステファニーの方が悪いなんて、不公平過ぎでしょう。

 

 

 

 エリーザベトの数々の問題行動について、

何でも彼女が馴染めなかった宮廷生活に原因を帰してしまうのも、どうかと思います。あまりにも、エリーザベトびいきの見方ではないでしょうか?

また、自分の様式・美意識に相応しくない、物・人物は敬遠・排除する傾向だって、自由主義者だとか、宮廷生活の苦しみでは説明できないと思うのですが。

ヴィクトリア女王を一方的に敬遠した所とか、娘のギーゼラの夫の父のルーイトポルトを、一方的に悪い、ルートヴィヒ二世が溺死した原因を作ったと断定、そして過度なハンガリーへの肩入れなど、こういう明らかにバランス感覚を欠いた、彼女の偏狭・極端な傾向に関しては、見逃され過ぎてはいないでしょうか? ちなみに彼女の母親のルドヴィカや彼女の弟のカール・テオドールは、ルーイトポルトの、 国王の幽閉という処置を、国家の平和のためにはしかたないと支持している。

当時の黒人のルスティモのエピソードも、すごく嫌な感じがしました。

このルスティモですが、変わった嗜好のエリーザベトなので、すっかり彼が気に入り、

たぶん深い考えもなく、面白半分でマリー・ヴァレリーの遊び相手にさせたようです。

そして例によって、エリーザベトは一回気に入った人間や物は、やたらとひいきする性格ですから、とにかく贅沢な生活をさせて、ルスティモの事を甘やかすだけだったため、彼を周囲の鼻つまみ者にしてしまったとか。いきなり、具体的な理由もなく皇女の

遊び相手に抜擢してしまった事や、エリーザベトの甘やかしが原因でしょうね。

また、一度飽きると人でも物でも、無責任に

すぐ放り出すのが彼女の特徴ですから、

後のハンガリーの事と同じく、ルスティモに対しても引き続き責任を持って主人として監督する責任を怠り、やたらと贅沢な扱いをするだけで、彼をすっかりみんなの嫌われ者にさせてしまい、あげくルスティモは一生結婚もできず、生活費は出してはもらったものの、孤独な老人として一生を終えたとか。ルスティモは、珍しいペット扱いだったという事ですかね?

 

 

気まぐれな主人にバランスの悪い可愛がり方をされて、鼻つまみ者にされて、孤独な晩年なんてあまりに彼が哀れです。

こういう話一つ取っても、私にはエリーザベトが一定の見識があった人物には、とても思えないんですが。

大体、これも、とても面白いでは済まないエピソードだと思うんですが。一人の人間の人生を、自分のふとした思いつきで、狂わせたようなものなんですからね。

 

 

それから、前述のエリーザベトの、皇妃になってからの、 こうした自分を取り巻く環境や人々に対する、数々の拒否反応・逃避行動も、 これを彼女の繊細さにしてしまうのも、

私は疑問を感じます。

私が見た所では、エリーザベトのこういった行動は、やはり、繊細さというより、彼女の偏狭さから来ているという印象が強いですね。

やはり、彼女を繊細とするには、エリーザベトの個性の強さ・強情さや攻撃性が何かと目立ちます。

それに、よく生き生きとして自由が好きな

エリーザベトだから、形式・格式ばった、旧態依然としたウィーン宮廷の生活を嫌い、放浪の旅を続けたのだというように解釈される事が多いように見えますが。

ですが彼女って元々死に憧れるような、

やや病的な傾向、陰鬱なロマンチシズムとでもいうようなものを持っていた女性だったようですし、エリーザベトは本来、活発なタイプではないと思います。

気心知れた人々の間では、そのように振る舞えたんでしょうが。

我の強い、内向的タイプという感じですね。

それに、初めて本格的にエリーザベトの

生涯を伝記として取り上げたと思われる、

ブリギッテ・ハーマンも、一見、短所も含めて、エリーザベトを評価しているかに見えますが、結局はこの歴史家も、エリーザベトを熱烈に称讃、高く評価している姿勢の歴史家なんですよね。これまでは私のこの作者の著作の読み込みが甘かったせいか、客観的にエリーザベトの欠点も含めた内容と思っていた時もありましたが。

しかし、結局はこの伝記も、私からすればなんでこんな性格・生き方の女性が、あそこまで大人気になるのかわからないと思ってしまうような内容及びまたそんなエリーザベトについて、全面的に肯定・高い評価を与えているような内容だし。

 

 

 

また普通に考えて、本人の問題点だろと思われるような、問題ある彼女の数々の言動についても、これも結局は、本来はもっと高く評価されるべき、すばらしいエリーザベトの真価や進んだ思想や生き方を理解・評価できない、宮廷関係者達が悪いからだというように、あくまで彼女と敵対していた人々にばかり、責任を負わせる姿勢ですし。

他人に厳しく、自分に甘い傾向というのくらいが、エリーザベトの欠点についての、批判らしい批判として、わずかにこの程度見られるくらいですし。どう考えても、指摘されているエリーザベトの欠点が、少な過ぎる。

そしてこのような内容が、現在でも皇妃エリーザベトについての決定版とされている現状なんですよね。

そしてこの流れが、依然としてずっと変わらないままですが。

 やはり、ハーマンの伝記が、皇妃エリーザベトについての評価の決定的な変化をもたらしたと思われ、それ以降、現在では、オーストリア方面でも、テア・ライトナー以降、エリーザベトについて肯定一辺倒の内容の歴史家や研究者の言説が、完全に主流になってきている気がします。

少なくとも、現在日本で出版中の、エリーザベト個人を取り上げた数々の伝記では、翻訳にしろ日本人の著者の物にしろ、肯定・擁護一辺倒のものばかりですよね。

私には、エリーザベトは「薄幸の皇妃」・「悲劇のさすらいの皇妃」などと形容されるにしては、アクが強過ぎる女性のように映るのですが。私から見ると、エリーザベトって、

エキセントリックで偏屈で猛烈なエゴイスト・ナルシスト・利己的個人主義者、

もしくは皮相的な自由主義者・進歩人という印象ですね。

 

 

 

 

そもそも、私が一番納得がいかないのは、

いつも彼女に関する伝記を読んでいると、いつも彼女の不幸ばかりが強調されている所です。

不幸といえば、実質的に彼女に見捨てられたに等しい、結婚後の、夫や娘や息子達などの、家族達だって、十分不幸でしょう。

それに、嫁のステファニーだって、十分不幸でしょう。夫や姑との関係も上手くいかず、宮廷でも冷ややかに迎えられ。

あげくには、夫に他の女性と心中までされている訳ですから。私からしたら、エリーザベトの苦悩や不幸って、ほとんどは、

彼女自身に起因する所が大きいように思うんですが。

確かに、息子の死は不幸ですが。

しかし、それ以外の、いつも悲劇的と形容される、ハプスブルク家皇妃でありながら、一生を流浪の旅に送ったという、彼女の、特に後半生ですが、そんなに本人は、旅から旅への人生を、不幸だと感じていたのでしょうか?

 

 

 

元々、それ程家庭的という方でもなかったようですし、人々と談笑するのを好むという性格という訳でもなかったようですし。

ハプスブルク帝国の行く末にも、ほとんど関心がなかったようですし。むしろ、煩わしい公式行事や外交・政治や宮廷の人間関係などから、きっぱり解放されて、気楽な余暇的な生活を楽しんでいたのでは?

元々放浪を好むような傾向が、あったのではないですかね?

 

最初の頃はともかく、途中からは彼女は、

もう優雅な孤独・無為の時間を満喫するようになっていたとしか、見えないのですが。

私には毎日エーゲ海を眺めながら、

詩作や彼女独自のもの思いに耽るなんて、

何とも優雅な生活だなあとしか、思えないのですが。

あれだけの美貌を持ちながら、そしてハプスブルク家皇妃という立場で、本来ならどんなに華やかな人生でも送れたはずなのに、あんな旅から旅への、流浪の日々に明け暮れてかわいそう・不幸というのは、勝手に外野が斟酌してやっているだけなのではないでしょうか?私には、エリーザべトって、とてもそんな一般的な価値基準で推し量れるような人物では、ないような気がするのですが。

 それに、彼女の何十年もの、こうした生活の裏には、夫や家族を初めとした、大勢の人々の忍耐と容認がある事も、忘れてはならないと思います。

それに、ハプスブルク帝国皇妃でありながら、  このようにどこにも安住の場所を見つける事ができず、何十年も旅から旅への日々に明け暮れるなんてかわいそうというのが、通常ですが、そもそも、彼女がこんな生活を送る事ができたのだって、逆に言えば彼女がハプスブルク帝国皇妃という立場にあったからですよね。

長期に渡る彼女の旅行費も滞在費も、全て夫の皇帝フランツ・ヨーゼフ持ちな訳ですから。

でも、ウィーン宮廷とそこでの生活が私にとって居心地の悪い場所なんだから、私がこうして外国でばかり過ごすのも、しょうがない、夫が関係費用を支払ってくれて当然みたいなものが強く感じられるエリーザべトの態度には、 やはり疑問と引っかかりを感じてしまいます。

一体エリーザベトは、生涯の中で、自分の

こういった生活を長期間の間許してくれる、

周囲の人達に対して、どれ程申し訳ないと

いう気持ちを、真剣に持った事があるのか、

私は大きな疑問を感じてしまいます。

私か見た所では、彼女の言動からそういったような気持ちは、ほとんど感じ取れないのですがね。頑として何があろうが、それこそ、息子の死があろうが、結局生涯自分の生き方を、変えようとはしなかった訳ですし。晩年に皇太子の息子を失なって、

大きな心痛と孤独を感じているはずの夫の側に、いてやろうという気持ちにも、とうとうならなかったようですし。

とにかく、彼女も苦しんでいたのだという擁護が、 よく言われますが、エリーザベトのそれは、専ら自分自身の苦悩で頭が一杯で、周囲の、 それこそ夫や子供達などの近しい人達のそれにまで思い至らなかった、いや、そもそも彼らの気持ちにまで思いを馳せるという発想自体が、彼女の中には、ほとんどなかったのでは?と思えてなりません。

エリーザベトの、長期間の旅行の日々が、

本当に自由や人間らしさを求めての生き方だったにしても、夫や宮廷関係者など、

周辺に多大な迷惑をかけている事には、

変わりがない訳ですし。

 

 

 

それに、どう考えても、

カタリーナ・シュラットを、日頃夫の側にいない後ろめたさから、自分の代わりに孤独な夫を慰めるために、話相手になってもらおうと紹介したのだろうと、各伝記で一応の解説をされても、これも納得しきれない、彼女の気持ちという感じなのですが。

何で自分自身がいてやらないで、他の女性に代役をさせるの?という感じ。

しかも、カタリーナ・シュラットがぽっちゃり目な体型なのを、自分を優雅な妖精の女王ティタニアになぞらえておいて、おデブでお笑いだと、詩の中で辛辣に揶揄したり、日頃自分の代わりに夫の話相手をしてくれていて、感謝しているはずの彼女に対して、優しいかと思うと、時に冷たい態度であしらう事もあったというから、本当に 彼女の性格って、理解できません。

彼らの不思議な関係には、マリー・ヴァレリーも、カタリーナ・シュラットの息子も、困惑していたようですし。こんな風に、他人の家族まで巻き込んで。

もっとも、フランツ・ヨーゼフとエリーザベトの夫婦関係 自体にも、不思議でよくわからない部分があるのは、事実ですが。実際に、歴史家達のそういう指摘もあるようですし。

 

 

とにかく、こんな女性に同情・共感しろという方が、無理です。むしろ彼女に対して、そういう気持ちになれる、大勢の人達の方が、私からしたら、 不思議でしかたありません。

暗殺も不幸ではあるかもしれませんが、

しかし、若くして暗殺された訳でもなく、

もう十分長過ぎる人生に、正直倦んでいた所に、 むしろ安らぎのような死だったのでは?

本人自身が、暗殺された事にさえ気づかないくらいの、安らかで苦痛のない死だったようですし。

それに、暗殺の場所となったレマン湖周辺だって、あそこには無政府主義者が多く潜伏しているからと、夫のフランツ・ヨーゼフに止められていたのに、それを振り切り、旅行してしまったようですし。

これは、心のどこかで、このような事態になる事をエリーザベト自身が、無意識に望んでいたのではないでしょうか?

結局、エリーザベトは帝国にも社会にも家族にも関心を持たず、ひたすら己独自の観念や価値観に凝り固まって、自分だけの世界観から閉じこもって、出て行こうとはしなかった訳ですよね。

社会の中で、ほとんど何らかの自分の役割・何らかの貢献を果そうともしなかった訳ですよね。

ほとんど彼女に顧みられなかった家族達も、 非劇ですよね。やはり、彼女自身が、

極めて自己愛が強く、困難にぶつかると、すぐ周囲のせいにし、逃避的行動に走り、自分に甘く他者に厳しい人間だったのは、否定できないと思います。

彼女次第で、他に違う生き方をする事はできたはずだと思います。全て外部の事情で、エリーザベトが否応なく、美貌と優れた資質を持った皇妃でありながら、旅から旅への孤独な人生を余儀なくされたという解釈・理論には、私は疑問を感じます。

やはり、あまりにもエリーザベトひいきに過ぎる見方ではないかと思ってしまいます。

私は生涯自分を取り巻く現実や環境と一向に向き合おうとせず、社会の中で自分の役割を果そうとせず、ただひたすら、旅から旅への流浪に逃避しただけの、彼女のような人物・生き方は、とても肯定できません。

 

 

 

 

 

 

 

これ程実像と実際の受け止められ方とのギャップが大きい、世界史の歴史女性もいないのでは?と思われる、 エリーザベトの受容史は、以前から少し興味があるテーマでもあったので、少し調べてみました。

どうも、現在のエリーザべトについて主流を占める解釈・受け止められ方の流れを作ったのは、最初にエリーザべトに ついて書いた、エーゴン・ツェーザル・コンテ・コルティ(クロアチア生まれのロンバルディア貴族でオーストリアの作家)(日本では、最初からひいき的解釈の強い、ジャン・デ・カールの「麗しの皇妃エリザベト」が日本での紹介の初めですからね。)、イギリスの歴史家ジョン・ハスリップ、

そして彼の後に、エリーザべトに関する名著・代表的研究と言っていい、ブリギッテ・ハーマンの伝記が出版、これ以降の、ヨハネス・ティエレ、そして日本で邦訳もある、プラシュル・ビッヒラーやマーティン・シェーファー辺りからのような感じです。

 

特に、コルティの、繊細なエリーザベトがウィーン宮廷の厳格な宮廷作法に神経を痛めつけられてというくだりから、この人の解釈が好まれ、一般的解釈になっていったのかもしれません。

作家って美化・ロマン的解釈に走りがちですしね。特に、 コルティ辺りの作家達にとっては、格好のロマンをかき立てる素材だったのでは?エリーザベトって。末期のハプスブルク帝国、(コルティなんて、その出身からして、かつての帝国への

ノスタルジーもありそうですしね。

クロアチアも、当時ハプスブルク帝国の支配下にあった。)

ハプスブルク家皇妃であれだけの美貌を持ちながら、宮廷生活を厭い、長年遠い異国を孤独にさまよい歩き、ついに旅先で暗殺者の手にかかり死すなんてという感じで。

エリーザベトを取り巻く、これらの要素がなかったら、このコルティも、エリーザベトを取り上げようとは思わなかったのでは? 

ただの変人、ハプスブルク帝国皇妃失格者・エゴイスティックな女性で片付けられていたような。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、あまりにも苛烈な感じのハーマンのエリーザベト像より、ロマン的なコルティ、 ハスリップ、シェーファー辺りの解釈の方が好まれやすく、受け入れられやすかったのは

想像できますが。シェーファーの著作と同時期に発売されたものでは、何と「偉大な皇妃達の幼年時代」などと銘打って、あのマリア・テレジアとエリーザべトを同列に扱っている本さえ、ありましたし。

この二人を並べて扱うのは、さすがにやり過ぎでは。

まあ、この前後、これも日本での邦訳も ある、ジクリト・マリア=グレーシングの、「ハプスブルク 愛の物語」から、エリーザべトに対して批判的なスタンスの物も、

中には表われ始めてくるようですが。

(日本ではこの一冊がいわば、ハッピーエンド編の「王冠に優る恋」と「悲しみの迷宮」の巻に分冊され、エリーザベトの話はこちらに収録。)

それにしても、やはり、かなり早い内から、 ブリギッテ・ハーマンの提示した、コルティのそれよりも、より積極的な評価を与えている感じのエリーザべト像について更に美化・ロマンチック化が進み、エリーザべト肯定・ひいき姿勢の本が、 圧倒的になってしまった気配がありますね。

そして現在の、「漂白と悲劇の、美しき皇妃」のイメージに至る、いわゆる、 エリーザベトのロマン的・感傷的な解釈が、 一般化・定着してしまったようで。

基本的に、感性優先・興味本位の作家なら、 まだそういう見方でもいいかもしれませんが、本来冷静さを求められるはずの歴史家達でさえ、こういう見方に一斉に倣い、 同調してしまう感じなのは、どうなんでしょうかね?

 

 

 

 

それに、元々、出版社というのも、横並び傾向が強い所ですしね。

売れるとなったら、 一斉に同一傾向の物ばかり、大量に出版しますからね。今となっては、すでに逝去なされてしまったらしい、テア・ライトナーに、ぜひ冷静な エリーザベトの伝記を執筆してもらって、 こういった状況に、一石を投じて欲しかったような気もします。ウィーンの歴史家でありながら、現在まで依然として続いている エリーザべト賛美・肯定・擁護一色の、このような風潮に同調せず、抵抗を見せた感じの姿勢は、 評価したいですが。

やはり、エリーザべトに関して、いつまで経っても、基本的に肯定一点張り・ほぼ同一見解の物しか出てこないっていうのも、どうなんですかね。エリーザベトについては、これまで伝統的に、ずっと同情的かつ肯定的な見方が続いているような感じですし、そろそろ、エリーザべトに関して、違う見解の物が、出てきても良いような気がします。

あまりにも長年の間、エリーザべトひいき 一辺倒に傾いていた、これまでの反動は起こるのか?

あまりにも、いつまでも、エリーザべト称賛・肯定的・擁護的一色の書籍の出版ばかりが相次いでいるような状況に、私などは辟易しているのですが。

そういえば、残念ながら題名は忘れてしまいましたが、おそらく世紀末のハプスブルク帝国やウィーンなどについての翻訳本では「非家庭的な人物」とか、批判的に書かれていたような感じだったんですが。

これは私の本ではなくて、たまたま家にあった本なんですが。

基本的に、肯定派しかエリーザベトの伝記を書かないという傾向も、あるんですかね?

確かに、オーストリア方面だって、

エリーザベト批判派の歴史家達だっていると思うんですよね。

向こうの方でも、これまでの一般読者の 期待・嗜好に添うエリーザベトを描く歴史家達しか、出版社に執筆させてもらえない面も、あるんでしょうか?

 

そういえば、オーストリアを舞台にした作品をいくつか書いている、作家の佐藤亜紀さんは何となく、エリーザベトに対して必ずしも肯定的ではないような感じがして、

興味があったのですが。

ご自分のサイトに、以前に、麗しの皇妃エリザべート一代記なる、少々以上に恥ずかしい企画で、とか書いていたし。

十年くらい前に、佐藤亜紀さんに、エリーザべトの生涯の執筆の話が持ち上がっていたようで。また、調べた事しか書かないつもりなのでとも、書いておられたし。

物や歴史人物などの、毒舌批評でも有名な方ですし、少なくとも、エリーザベトに関しても、他の本のような、ありきたりの解釈ではなかったのでは?と期待があったのですが。

元ナポレオンの皇后のマリー・ルイーズでさえ、それ程有能な皇女だったとは言えないと、テア・ライトナーと同じく、冷静な感じの判断を下していた方ですし。

彼女なら、一体どんなエリーザべト像を書いていたのか、興味があったのですが。

実現しなくて残念です。彼女の書いたものなら、それなりの説得力を持ちそうな感じですし。

それに、エリーザベト人気の要因に関して、ふと思ったのですが。

私から見ると、これまでのエリーザべトの人物像・および生涯を眺めてみて感じた、私の感想、そしてこれらの人気から、多々見られる感じの傾向・特徴から判断してみた所、ここまでのエリーザベト人気の内実って、具体的な理由に基づいているものというより、印象的なものが大部分なのでは?と思ってしまうのですが。このようにでも考えないと、

 冷静に見て、あまり個人としても皇妃としても、肯定できないようなタイプの人物の彼女が、ここまでの人気になる理由が、説明がつかない気がします。

 

 

 

 

 エリーザベトの、その一見ロマンチックに見える印象、どこにも安息の地を見つけられず、異国を彷徨い歩く、憂愁と流浪の皇妃という感じ?また、詩作というのも、

こういったイメージの形成に、

大きく影響していると思いますし。

そして、やはり、何より「美女」と

いう事から、人気があるだけなのでは?と思うのですが。

時代背景もまた、激動の時代ですし、末期のハプスブルク帝国という時代背景も、ロマンをかきたてられそうな感じですし。それに、最後の決定的な要素としては、やはり暗殺されて、その生涯を終えているでしょうね。この要素が、数奇な運命という印象を、強めていると思います。またエリーザべトに対する、肯定的・擁護的な論調として、古臭くて形式張った宮廷に収まらない、生き生きとした自由で繊細感性だとか、自由主義者だからというのも、結局上記のような印象的な理由から、エリーザべトをいいとしている人達が、エリーザベトを好む理由として、後付けの理由として付けている側面も、あるような気がします。でも、ここまでの人気なんだから、

それなりの理由があっての事だと

思ってしまう人達も、また出てきてしまって、誤解に誤解が積み重なって更に、エリーザべトの人気に

拍車がかかっている所があるのでは?

                                                         

 

 

それにしても、過剰なものを感じる、 オーストリア方面のエリーザべト称賛が、そのまま日本にも流れ込んできた感じですね。そして、その傾向が現在でも、いまだに続いていると。

  

それから、後記。

グレーシングにも、がっかりしました。いつの間にか、この著者まで「シシィ 現代的女性」なんて本を出版していて。この人は、どちらかというとエリーザべト批判派ではなかったのでしょうか?そんなに、学者さん達も、儲けたいのですかね?何しろエリーザべト関連本と付けば、すぐに売れますからね。それにこのグレーシングの本の紹介文の中で、例によって挙げている、大勢の人々のエリーザべト支持・人気の根拠・理由だって、やはり、何一つエリーザベトがここまで支持・肯定される理由として、私としては納得できませんでした。

  

 

 

 

 

 

 

 

神秘的な美しさ・乗馬・ダイエット・詩作(しかし、これは詩作だけに留まらず、ギリシャ神話風の、アキレイオンなど奇妙な建物を建てている事などの、彼女独特の美的世界をも意味しているのでしょうか?)・自由主義・現代的。

確かにエリーザべトの美貌は認めますが、彼女の性格も、神秘的というより、変人・奇人としか思えないし。夫やカタリーナ・シュラットとの関係など。また、長距離を誰もついて来れないようなものすごい早さで、何時間も歩き続ける(これはまだ、彼女が旅に明け暮れるようになる前の話だったと思いますが。)、精神病院を訪れ、何時間も精神病患者を観察し続けるなど、精神病患者に大変な関心を示す所など。どう考えても、

相当に変わった女性だと思うのですが。

 それに、これらの事柄って、

どれも、そんなに重要な事なんですか?みな余暇的・おまけ的みたいな事ばかりですし。私から見ると、

だからそれが何なのですか?としか思えない理由ばかりなんですが。

外見以外の事柄の、彼女個人に関して言えば、一定の評価を与えられる程の事は、何一つとして見つける事ができないのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 果たして彼女に体系的・系統立った、一貫した、一定見解の自由主義があったのかどうかに、私が懐疑的なのは、すでに述べていますし、詩だって、程上手いという訳でもないですし、極秘の私家版の詩集以外は、生前に一般公開目的で、詩集を出している訳でもないですし。彼女のごく個人的・日常的な、愚痴そのままみたいなのも多いし。乗馬に関してだって、無鉄砲な乗馬を、専ら自分自身が楽しむだけで、馬術全体の発展に貢献するような、具体的な貢献をしたという訳でもないですしね。

関連団体に寄付したという訳でもないですしダイエットだって、その健康を害するくらいでは、やり過ぎでしょう。ダイエットのやりすぎのあまり、浮腫だの、坐骨神経痛が起きるくらいって。相当な無茶ですよ。

夫にも、妃は骨と皮ばかりに過ぎないと、嘆かれてしまう程ですから。

 

 

 

 

そもそも私が、彼女の自由主義の内容に、疑問を持ってしまうのは、エリーザべトが確かに、通常の意味での自由主義者だという事を表わす、

具体的事実が、ほとんど見られないからです。

政治面においては、ほとんど皆無ですよね。

また自分の自由主義について、

日頃からまとまった見解を示している訳でもないし。

そもそも、ほとんど政治に関心がなかった人物の訳ですから、しかたないといえばしかたないですが。

(初めてオーストリアで、本格的にエリーザべトの生涯を取り上げた、コルティも、「非政治的皇妃の悲劇」と、副題に銘打っていますし。)やはり、首相がターフェになってからの保守的な政策に批判的な感じだったとか、しかし、やはり、それも、わずかな彼女の詩とか韻文の中での漠然とした反感の表れみたいな感じに留まっており、具体的にどこをどういう風に批判していたのかも、結局よくわからないまま。

やはり、明らかな彼女の政治への関与が窺えるのは、圧倒的にハンガリーの利害に関することだけ。それに、よく彼女関連の本の中では、彼女の政治的な功績のように言われている、一八六七年のオーストリアとハンガリーのアウグスライヒにより成立した、オーストリア・ハンガリー二重帝国も、歴史家によっては、必ずしも肯定的に評価されていないようですし。

結局、この事でさえ、彼女の明らかな政治的功績とは、完全には言いきれないということですね。

 

 

 

 

でも、やはり、このような事実から

しても、彼女の自由主義の内容に、

疑問が湧いてしまうのも、しかたないと思うのですが。ハンガリ-の主張ヘの共感だって、確たる理念に基づいてというより、ほとんど彼女の個人的感情に基づく所が、大きかったようですし。

やはり、エリーザべトは自由主義者で

素晴しい・好ましいという、曖昧な、気分的、観念・イメージ先行の支持理由では?と思ってしまう。

私が彼女の自由主義が、果たして

どの程度、具体性に基づいた、体系的なものだったのかと、大いに疑問を持ってしまうのは、エリーザベトの激しくムラがあって一貫しない、矛盾が

目立つ言動、そして彼女が自分の自由主義に関してまとまった見解を、ほとんど具体的に示した事がない事です。

私が思うに、エリーザべトが宮廷生活に馴染めず、生涯何十年間にも渡り、

旅の途上にあり続けたのは、彼女が繊細な感性を持っていたからとか、自由主義者だからとか、現代的だったからとかというより、あまりにも彼女の

個性が強過ぎたからではないか?と

 思うのですが。彼女が宮廷生活を嫌い、帝都ウィーンの家族も、社会も帝国も放り出して、せわしなく、長年に渡り、旅から旅への生活に明け暮れていた理由について、いくらあれこれと常識の範囲内・一般的理解に収まりそうな、これら常識的理由を付けてみても、(私はそういう理由付けにしても、納得もできないし、エリーザべトに共感もできませんが。)どうにも収まりの悪さを感じるのですが。いろんな言動から窺える、

彼女のその破天荒さ、既成の常識を

遥かに越えた、強烈な個性は隠しきれないと思うのですが。 どうもエリーザベトというと、脆いとか、かよわいとか繊細過ぎて、そのような彼女の感性を有無を言わさず圧殺する、数々の無神経な宮廷作法・生活などのせいで、無気力になりがちになってしまう、普段は憂鬱気味な性格という風に、思われがちな感じですが、私から見るとむしろ、彼女はエネルギー不足とか無気力というよりも、全体的に、エネルギー過剰という印象が強いのですが。持続力はないですが。

相当感情の振幅が、激しい感じですし。

何だか、一人オペラみたいな感じなんですよね、エリーザベトの様子を見てると。

歓喜の頂きから、もう次の瞬間には、たちまち絶望の淵に沈み込むみたいな。

彼女を題材に、芝居が作りやすいのは、

わかります。

エリーザベトが何かと極端から極端な行動に走りがちなのも、このような彼女に内在する、

過剰なエネルギーが関係していたと考えると、納得がいくのですが。

だから、彼女が大好きだった乗馬やほとんど競歩のような、長時間のすごい早さでの散歩とか、ハンガリーのためにする活動の時には、

遺憾なくそれが発揮され、普段とうって変わって、すごく精力的になるのも、その証拠だと思います。

それに長年に渡る、それこそ高齢になっても、あのように息つく暇もないような、

ハイペースでの、頻繁な旅先から旅先への移動も、過剰なくらいのエネルギーがなければ、

むしろできないのでは?と思いますし。

 

 

 

 

 

 

 

それに普通に考えて、何十年もの間、そんな大急ぎで せわしなく、すごい早さで旅行し続ける必要なんて、ないと思うのですが。

いくら、ウィーンが嫌でなるべく早い内に 立ち去りたいからという理由にしても。 でも、旅行先でも依然として、 エリーザベトはそんなハイペースでの旅行を続けていますし。

そもそも、なるべく一定の場所に

できるだけ、留まりたくない、

目にも留まらぬようなくらいの早さで、 もう次の目的地に向かっていたという、 そのエリーザベトの考え方自体が、すでに理解に苦しむ訳ですよ。

あまりにも極端過ぎる行動に、感じるのですが。大体、もう皇妃としての

具体的な役割・すでに形式的に一定の

期間ウィーンにいてもらう事さえ、ほぼ期待されなくなっているんだし、

ウィーンにいたって、

彼女の個人生活を追求する事は、

できたんじゃないですかね? 

彼女の個人生活・趣味の場合、そもそも語学とか詩作とか乗馬とか、社交界との付き合いなんて必要としないものばかりだから、

そのままウィーンにいたままだって、

問題ないじゃないですか。

個人生活の、追及もできるじゃないですか。

それに、旅先でだって一定の期間、一定の場所に落ち着きながら、それらを追求すればいいじゃないですか。

何で、わざわざあんな年がら年中、

十分各地の風光を満喫する暇もないような 早さで、各地を回り続ける必要が、あるんでしょうね?

割と気に入っていて、比較的一定期間滞在していたとされている、ギリシャのコルフ島でさえ、彼女からすると、

それでも一定の期間いると、飽きてしまうという事でしょ?

またすぐに、すごい早さであてもなく、各国を旅行する日々を、再開したくなってしまうという事でしょ?

彼女の嗜好からすると。

大体、どう見ても、年中修学旅行、団体ツアー旅行みたいな、あの慌し過ぎる、せわしない旅から旅への日々は、

ロマンチックというより、私はエキセントリック、かなり理解に苦しむ行動と、形容するしかないと思うのですが。

「出航していく船を見ていると、私はその上にいたいと願う。その目的地がブラジルだろうが、アフリカあるいは喜望峰だろうが、それはどうでもいい。ただし、一つの地点に長く居続けるのだけは嫌なのです。」

実際には、ほんの数分間くらいの程度の、分刻みの滞在が、彼女にとっては長時間に感じられるという事自体が、

やはり尋常ではないですね。

 それに、エリーザベトの憂愁の気持ち・旅行を表すものとして、各書でよく引用されている感じの、彼女のこの言葉ですが、この時本当に、彼女は沈んだ気持ちで、この文を書いたのでしょうか?

エリーザベトといえば、

自由を求め続けた憂愁の生涯というように、彼女に対する先入観から、

自動的にこの文章を、生涯あてのない旅を余儀なくされた、彼女の憂愁の気持ちを表わす言葉と捉えてしまう、

歴史家達が多過ぎないでしょうか?

本人としては、普通に何気なく、

自分の旅行に関する普段の気持ちを

書いただけだという可能性もありますよね。

それからエリーザベトの不可解な行動の一つである、あの超短期滞在・移動についてふと思いましたが、もしかすると、彼女は直感的に、自分がある程度滞在したい所か、数分の滞在・通過で済ませていい場所なのか、判断していたのかな?と。

これも、かなり変わった旅行のしかたといえば、旅行のしかたですけれど、

しかし、何かと彼女は通常の尺度では、判断しずらい人物という感じがするので、ひょっとしたら、こういう可能性も、ありなのではないかな?と。

それから彼女の旅行は、確かに初めは逃避の側面もあったとは思いますが、通常言われるよりも、エリーザベトはもっと、積極的に旅を楽しんでいたのでは?と。

初めは便宜的方便・成り行き的な側面の方が、強かったのかもしれませんが。

やはり、私が見た限りでは、彼女の長年の旅に、悲壮感は、それ程感じられないのですが。これもいろいろ深読みされがちでは?と思う、あの長年の不可解な慌しいこの旅行の日々も、エリーザべト側からすれば、別に特に深い意味なんてない、

ただ旅をしたいからする、という意識だったのじゃないかな?

それに、エリーザべトのすごい速さでの

次の目的地から目的地への移動の理由も、

上記したように、直感的に彼女は自分が

長期滞在したい場所かそうでないか、

判断していた可能性の他にも、

なるべく、少しでもたくさんの場所に

行ってみたいからという理由ではないか?

と、私は推測しているのですが。

そもそも、一つの場所に一定期間留まる事すらできない悲劇とされる、

あの落ち着きない彼女の旅先での

行動パターンですが、これも、そもそも、彼女には一ヶ所に一定期間定住したいと

いう気持ち自体も、あまりなかったのではないですかね?それは普通の人々からすれば、

心身共に休まらず、大変なんじゃないかと思われる、あのような慌しい旅行の日々も、エリーザべトの中での生活リズムには、あれが合っていたという事なのでしょう。そしてそれこそが、常人の安易な理解を拒む、エキセントリックな女性エリーザべトのエリーザべトたるゆえんではないでしょうか?

 

 

 

 

それに、それはたまには憂鬱になって、そのような事を言ったり書いたりもしていますが、エリーザベトのそれは、いわば彼女の生来の性格による定期的なものだと思われるので、そういった言動も、あまり真に受け過ぎない方がいい類のものなのでは?

(しかし、こういう尋常ではない旅行のしかた一つ取っても、周囲の人々もですが、こんな主人に仕える人々の、

苦労も並大抵の物ではなかったと思いますね。なぜか、この点に関しても、

数々の彼女にまつわる数多くの書籍でも、黙殺されて改めて触れられない事が多いですが。)

 

このような彼女の常軌を逸した行動スケジュール・旅行スケジュールにも付いてこれて、常時彼女と行動を共にするために、最終的に周囲に残ったのが、彼女に心酔しているハンガリー人出身の腹心の侍女のフェシュテティチ伯爵夫人とイーダだけだったというのも、うなずけます。

実際に、エリーザベトがその風変わりで気難しい性格から、大変に仕えにくい主人であった事も、事実だったようですし。

実際髪の毛が一本抜けただけでも、

機嫌が悪くなり、侍女を叩いたりしていたという話も、残っていますし。

 

エリーザベトは、いろんな事についての、物の見方・反応が通常のそれとはかなり違っていた女性のようなので、彼女とたまに話すくらいなら、彼女の受け答えが一風変わっていて、面白かったと言っている、宮廷画家のヴィンターハルターや、珍しくエリーザベトが親しみを表わした、ルーマニア王妃エリーザベトなどのように、何か新鮮・面白いと感じていいのかもしれませんが、こういうタイプの人の、常に周囲にいて一緒に生活しなければいけないような人達は、さぞや大変だと想像されます。

 

 

 

 

 

 

 

それに仮に本当にエリーザベトが自由主義的、現代的な生き方を、本人としては追求したかったとしても、その表わし方が、やっぱり、おかし過ぎますね。何でわざわざ、それらを主張・追求するのに、こんなかなり変わった

行動、一般的には、なかなか理解されにくい行動・生き方というやり方で、このような形で表わす必要があったのでしょうか?この部分に関しては、

いまだに納得できるような説明が、

示されていないままですが。

そうするしか方法がなかったのだろうとか言われても。

 

 

 

 

 

 

 

 

このようなエリーザべトの、数々のエキセントリックな、突飛な行動も、後天的な理由からというより、元々彼女の持っていたエキセントリックな傾向が、合わない環境の中で、更に極端に強調されるようになっていったのではないかと思うのですが。

気心の知れた家族の間では、そういう彼女の性向が、それ程目立つ事がなかったのではないですかね。

父親も、風変わりな傾向があったようですし。

 

 

 

  

私は、エリーザベトがハプスブルク

帝国皇妃でありながら、一生の間を絶え間ない旅行に費やして日々を送ったという結果になったのは、彼女を取り巻く古臭いウィーン宮廷が悪かったからだとか、彼女が自由な生き方を大切にしたからだとかというよりも、あんな超変則的な生活の中でないと、

自由に生きられない、人間らしく生きられないという事になってしまうという、エリーザベトの元々の性格自体の方にこそ、問題がある、それこそが大きな原因・理由であると考えた方が、自然だと思うのですが。

やはり、彼女の周囲の環境というより、彼女自身の個性、要するに性格的な問題だったのではないでしょうか?

私からすると、どうも、エリーザベトがあのような超変則的生活に至る事になった、その原因と結果の順序が取り違えられて、解釈されやすい傾向があるように思えるのですが。どの人々も、条件反射的に、まずエリーザベトに居心地の悪さを感じさせるウィーン宮廷が悪い→その結果、生き生きとした自然児だったエリーザベトがあのような、専ら頻繁な長期旅行に夢中になる日々を送るようになってしまった、またこのせいで、彼女が他の数々の気まぐれで不機嫌だったり、エキセントリックな性格になり・またそうした行動を取るようになっていったという順番での、解釈がされやすいような。

割と他の本よりは、エリーザベトに批判的に見えた、グレーシングでさえ、そのような見方をしているようですし。

なぜ、明らかだと思われる、元々のエリーザベトのエキセントリックな傾向、並外れて強烈な彼女自身の個性自体は無視されたまま、あれこれと彼女に関する解釈が行なわれやすいのでしょうか? 

どうしても、上記のような順番の、

論理的展開の形で、彼女の行動を理解したい人達が多いという事なのでしょうか?

というか、単にエリーザベト側にばかり、同調する見方がされやすいだけなのか?

エリーザベトに関して、このような論理展開が主流となっていった、その詳しい経緯が知りたいですね。

それまではエリーザベトがあんな生活を生涯続ける事になったのは、彼女のかなり変わった個性こそが問題だとされてきたのに、途中から、ブリギッテ・ハーマン辺りの、どこかフェミニズム的な感じもする、エリーザベトが個人の自由や人間らしい生き方を重んじる、現代性を備えた女性だから、あのような生き方になったのだ、古臭いウィーン宮廷など、彼女の周囲の環境が良くなかったからだという意見が、

一般的になっていったのか?

そして、またその方が人々に受け入れられやすく思われたから、エリーザベトに関する見方として、現在のようにスタンダード化していってしまったのか?

それとも、そもそも、彼女の生涯があのようなものになったのは、彼女自身の性格の問題であるという考え方は、どうしても出てこないだけなのか?

  手がかりのりようなものの一つとしては、フランスでも割と以前から、エリーザベトに関する本が、ジャン・デ・カール以外にも、出版されていたらしく、

その中の一人のフランス人作家ポール・モランは、エリーザベトについて、「ハプスブルクの白い貴婦人」の中で、「彼女は長所も短所も合せて今日の女性である。それが、入り口を間違えたかのように、一世紀まえ、つまり十九世紀に登場してしまったのだ」。と評しているらしいことなどから、もしかして、エリーザベトがあの時代では、あまりに現代的・進歩的な女性過ぎたから、その彼女の人生があんな悲劇的なものになってしまったのだというような見方が、このフランス辺りから出てきて、広まっていったということなのでしょうかね?

このポール・モランの本は、いつのものなのかは知りませんが、例えば、おそらくこの本と同時期くらいの出版と思われる、レーモン・シュヴァリエの「シシ物語」というのは、すでに一九六八年には、出版されているようですし。どことなくフランスって、いかにも美人に甘いお国柄っぽいですしね。

どこの国でも同じようなものかもしれませんが。それに、フランスといえば、自由主義の本拠地みたいな所ですし。

 

 

 

 

 

本当にエリーザベトの生涯って、

悲劇だったのでしょうか?

私も、彼女について書かれた数多くの本の中で展開されている、今までの

分析・解説について、どうにも釈然としないものを感じる事が多かった、彼女の生涯について、これまで、ずいぶんいろいろと考えを巡らせてきましたが、やはり、私の中では、彼女の人生の意義は、いまいちよくわからないという結論しか、出せませんでした。

彼女が自由な生き方を主張していたというのだったら、それを宮廷の周りに広めて理解してもらい、彼らの意識を変えていくために、具体的に何か実際的な行動を起こしてみても、よさそうなのに。

しかし、実際にエリーザベトがした事と言えば、人生の大半を、あてのない、非常に頻繁な旅行の日々に送るという、世間一般の人々には、理解しづらい生活という行動だった訳ですし。

結局、私の、エリーザベトの生涯を総括してみた印象としては、理解する事に苦しむ、かなり変わった女性の、かなり変わった生涯としてしか、理解する事ができなかったのですが。

やっぱり、一般的な彼女についての理解は、どうも過大評価傾向に見える、エリーザベトの行動の、原因と結果の順番が逆にされて、理解されているのではないのかなあ?

という感想にしか、なりませんでした。

私には総じてエリーザベトって、

良識と責任感と他人を受容する気持ちに、欠けている女性に見えました。

 

 

 

 

それに、エリーザべトが現代的というなら、 悪い意味で現代的とは言えるかもしれませんね。私はエリーザベトは利己的個人主義者・拒食症の走りとしたいですね。

 自由主義・個人主義というより、利己的個人主義傾向。家族よりも、ごく個人的自由行動を好む。体型が崩れるからと妊娠を厭う、

自己愛優先の母親。だからこそ、

現代人に共感されやすいのかもしれませんが。ある意味では、時代に愛された女性?実際に、その人気もずっと以前からのものというより、ここ二十数年間で、ハーマン辺りの伝記または関連派生のフィクション作品などにより、急激に人気になっているようですしね。やはり、考えれば考える程、エリーザべト人気の内容って、具体的な深い理由や根拠に基づいた人気ではなく、漠然としたイメージ主体・イメージ先行人気に過ぎないような気がします。各地をさすらい、悲劇的でロマンチックとか、乗馬やっててかっこいいとか。黄昏・落日のハプスブルク帝国の、薄幸の美人皇妃だとか。ウィーンなど観光誘致したい側の関係者の思惑も多分に絡んで、よりその人気が過熱している面もあるでしょうし。 次々に、関連施設いっぱい作っちゃうし。

それに、過剰過ぎるのでは?と思われる、

エリーザベト人気の要因について、これも

大きいのでは?と思われる理由ですが、

だいぶ人間的に問題ありと思われる、このような女性でも、実質的にハプスブルク家最後の皇帝で、後に戦争に敗北し続け、次々と領土を手放さなければいけなくなっていくとはいえ、当時最大の版図を誇っていた、ハプスブルク帝国皇帝フランツ・ユーゼフ一世が、それでもなぜか、長年の間愛し続けた、愛妻であるという威光も、大きいのでは?と思われます。必然的に、彼が妻のために作らせる関連物だって、多くなるでしょうし。

 

それからエリーザべトって、

見る側が、あれこれ自己投影しやすい面も、あるのでしょうかね?

それに、これは以前からずっと

思っていた事ですが、およそ、現在の、歴史女性に関する安易なほめ言葉としての「現代的」という

形容詞が多用される傾向にも、疑問を感じています。(よくエリーザべトにも、彼女称賛の言葉として、頻繁に冠されている形容詞ですが。)「過去の時代の女性なのに、現代的な歴史女性」って、そんなに素晴らしいんですかね?そんなに歴史女性が、現代的である事って、他の美点よりも何にも増して、

評価されるような美点なのでしょうか?

要するに、これまであまりにも不可解な感じがする、過剰な感じのエリーザベト人気に関して、あれこれと考えた結果、私はこういう最終結論に達しました。やはり、数々見られる、エリーザベトの様々な問題点を見逃せる程「自由主義」や「現代的」って、そんなに人間の中の、他の数々の長所よりも、何にも増して、尊ばれる、重要視されるべき事なんですかね?私は人間って、他にももっといろいろと大事なものがあるのではないかと思うのですが。「思いやり」とか「誠実さ」や「忍耐」・「責任感」・「礼儀」など。

しかしエリーザベトの場合、

数々の伝記等の中で、まるで、

これら「自由主義」や「現代的」が、人間の他の数々の長所の中で、

 何よりも優る長所のように、

称賛され過ぎている感じで、人間の評価基準として、偏り過ぎているのではないか?と思うのですが。

大体、この「自由主義」って、

長所なんですかね?単なる個人の

思想の違いでは?

どうも、エリーザベトに関する本の中で、この自由主義が、長所と思想と一緒くたにされて扱われている

ケースも、よく見られるような。

エリーザベトの自由主義=長所

みたいな感じで。

(とはいえ、私はこれもすでに書いているように、エリーザベトの具体的な長所って、よくわからないのですが。彼女が本当の意味で、自由主義者で現代的と言えるのか、私は疑問を感じているので。彼女に関して、これらの言葉を即当てはめる事に、私はしっくりこないものを感じてしまいます。)

何かエリーザベトの人気って、

多分にイメージ優先であると同時に、

かなり観念的なものでもある気がします。

いくらエリーザベトが美人だからって、彼女の生き方まで、ここまで美化してしまうのも、どうかと思います。